私は鍼灸師です。
臨床に入っていると、
「先生は何で今の仕事をしてるんですか?」
と質問を受けることがあります。つい先日も。
その際は、「怪我をした経験がありましてね。」
と、軽く話を終えますが本当の所はどうなのか。
ちょっと長いんですが書いてみました。宜しければご覧下さい。
、、、。
私は、16年前に交通事故で右下腿両骨を開放性骨折をしました。
一瞬の出来事ですが、
私にはスローモーションで数秒のよう。
同じような体験をした方は分かりますよね?不思議な時間です。
ドン(ぶつかる衝撃)‼️
ゴリゴリ、、(骨が砕ける音)‼️
あ、ヤバイなこれは、、、。
電柱に、、ぶつかる、。
回避しないと、、(身体を捻る)。
が、ブロック塀は無理か。
ぶつかる、、、。
背中から落ちる。
折れた瞬間、(右下腿が)切断された!と感じました。
地面に倒れて足が後ろを向いていましたがズボンをめくり繋がっていると分かって少し安心した途端に激痛。痛みはあっても感覚が無いので、これは本当にヤバイと思いました。
自身に起きている状況が分かり、救急車へ連絡。そして父に事故ったと知らせました。
状態は、正しい医学用語では無いのですが、複雑骨折と聞くと分かり易いと思います。下腿の骨がバラバラになっている。そして、開放性とは骨が皮膚を破り空気中に出た状態です。開放性は菌が入るためややこしくって、傷口をゴシゴシ洗って抗生剤の投与が必要になります。
私の場合、骨を固定する手術の前段階に1度患部を洗浄するオペがあり、抗生剤の投与が1ヶ月続きました。その間はベッド上で寝たきりです。トイレも食事も。炎症反応が強くて疼痛と熱発で苦しかったのを覚えています。ロキソニンは効かないので、6時間おきに座薬を入れます。痛みが一時的に半減しその時は至福の時。でも3時間程度で効果は切れまた痛みの連続。
なかなか炎症が収まらないため、医師からは、骨が付かない場合は長引くと言われていました。
1ヶ月が経過した頃、炎症が収まってきて2度目のオペ。次は髄内釘(ずいないてい)というチタン製の1本の長い棒を脛骨の中に入れてボルトで固定します。
私には待ちに待ったオペでした。
やっとか。
オペは半身麻酔なので意識はあります。
カンコンカンコン
と、ハンマーの音と身体に伝わる振動が何とも言えない経験でした。
オペ後は麻酔が切れた翌日に医師が来て起きれるか?と言いますがムリムリ。ベッドから足を下ろすと鬱血し下腿部に激痛。車椅子に座っているのも痛い痛い。痛いとも言ってられないので気合いで立ちますが、筋力は低下し小鹿のように震えます。
そしてリハビリの開始。
リハビリは強烈な痛みの毎日で、痛みは脂汗が出るのを超越し笑いが出るほどで、その時私はMだと思いました(笑)
何だかんだで2ヶ月間入院しその後も通院で3ヶ月間リハビリ。だいたい半年で職場に戻りましたが、ある程度迄に回復するには1年掛かりました。
入院していた2ヶ月はとにかく痛みと睡眠不足の思い出ばかりです。でも、その時間があり自身について考えることが出来ました。
何でこんな目に合うのか?
きっと理由がある。
物事には必ず理由があって、
それに「気付き」があるか無いかだけなんだと。
このように、怪我と入院は理由がある。
理由が。
それは一体何だろう?
そしてその理由は業界に入るためなんじゃないか?と、漠然とですが思い始めました。入院し2ヶ月目くらいの事です。
入院中のリハビリで、理学療法士の先生に良くしていただいた事があり、入院中は理学療法士に興味を持ちました。担当してくれた先生に仕事について質問をし、学校の資料請求も何校か行いました。当時は資料請求も有料でしたから、今とは変わりましたね。
理学療法士になろうと思ったのですが、現実はそうも行きません。親には大学へ行かせてもらっていたのでこれ以上甘えることは出来ない。金銭的な援助を受けることは私には出来ませんでした。
当時の理学療法学科には夜間部は無く、またリハビリをしてくれていた先生に聞くと、仕事をしながらは(勉学についていけないのと実習があるため)無理だろうという事で半ば諦めていました。
退院してからも医療業界への想いが消えることが無かったので、自身で業界の職種について調べました。
私は当時の仕事の関係で、医療や健康情報には興味があり、民間資格の健康管理士の資格を持っていました。
ずっと勉強を続けていた健康に関する知識を生かしつつ、技術を提供し、私の様に様々な後遺症、痛みや不眠等に悩んでいる方へ何か出来ないだろうか?
そこであったのが、
鍼灸師(はり師、きゅう師)、マッサージ師、柔道整復師でした。
結果的には鍼灸師の先生とお話を出来る機会があり、鍼灸師を選択。
学校は関西医療学園のみ受験。
なぜか?
資料請求し読んだ内容で、
現在、関西医療大学教授の山本博司先生が書いたコメントでこうありました。
「患者様の心が分かる優しい医療人に」と。
シンプルですが、そこだと思ったからです。この先生の講義を受けたいと。
実際受けてとても良かった。後から知ったのですが、業界では有名人。(下記、山本先生)
http://www.kansai.ac.jp/course/teacher/medical/teacher26.html
学生時代は勉強は難しいというよりは面白かったです。学ぶ目的が明確だったので、学校以外に職場で修行は勿論、図書館通いもしましたし、数多くのセミナーにも積極的に参加しました。
鍼灸師免許を取得してからの方が大変。免許者の責任がありますし、実際の臨床では未熟な私にとって毎日が難しい勉強です。
それは今もですが、毎日が修行ですね。
私は入院した事や今の後遺症は仕事をする上で武器になっています。
経験することでしか感じられない事があり、それが私が受け持つ患者様の想いや感じている事に繋がるからです。
分かるので傾聴であったり声の掛け方、先生としての立ち振舞いも違ってきます。
「患者様の心が分かる優しい医療人に」
これ迄も、そしてこれからもこの初心を忘れず患者様の笑顔の為、皆様のお役に立てるよう努力を続けます。
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